夢や希望を持つということ

大阪南東ブロック公開例会については、昨日書きました。
そこで考えたことの一つ。
夢や希望について。
これまで、私は、夢とか希望とかというのは、どちらかというと贅沢品みたいなものなのかなと思っていました。
要するに、「あったらいいけど、なくても生きていけるもの」だってことです。
でも、高田自動車学校の田村氏の話を聞いて、人は、夢や希望を失ったら、生きる活力を失うんだと気付いたのです。
ただ、それでも何となく仕事をしていれば生きていくことは可能です。今は、豊かな時代ですから、普通の生活をするだけなら、特に夢や希望を持たなくてもやっていけるのです。
でも、それでいいのでしょうか?


それは、人それぞれだし、その人の自由だとも思います。
その一方で、人として生まれてきた以上、生まれてきた責任を果たすというか、自分の役割を全うするというか、自分の人生を生ききるというか、それは自分の幸せであると同時に、人としての義務でもあるように思うのです。
そして、生ききるためには、自分なりの夢や希望を持ち、精一杯生きていくことが必要だと思うのです。
もっとも、これもまた人によって考え方が違うでしょうから、強制することはできません。
日々、何となく仕事をして、何となくテレビを見て、何となく家族と過ごして、何となく毎日が過ぎていく。。。
そんな生活も、ある意味では幸せなことだし、それを否定することもできません。
ただ、それが本当に幸せなのかというと、恐らく、当人も本当に幸せだとは感じていないのではないかと思います。
幸せを実感できるかどうかというのは、現在の状況がどうであるかよりも、少しずつ状態が良くなっていることの方が重要だといわれています。確かに、物質的に満たされているものの経済成長が停滞している現代より、物質的にはまだ十分ではないけれども、経済が成長している時代の方が日本全体が元気だったようにも思います。とかいって、私は当時は子どもか生まれる前ですから、よく分かりませんが。。。
日本は少子高齢化が進み、人口減少が確実な日本は、これから経済規模も縮小し、右肩上がりの発展は見込めないといわれます。
確かにそうかもしれません。
何も、経済的発展ばかりが重要じゃないし、幸せであることが大切じゃないか、というのもその通りだと思います。
でも、幸せというのは、今生きていることがありがたいということに加えて、何かが成長したり、発展したり、改善したり、何かが良くなっていくということも含まれていると思うのです。
たとえば、日本全体の経済が成長しないとしても、一人ひとりの生活は、もっと改善できるのではないでしょうか。
地方は過疎化が進み、大都市に集中している状況を、もっとまんべんなくすれば、ラッシュもなくなり、家も広くなります。
もちろん、そんな簡単なことではないですし、私もどうしたらそうなるのかは分かりません。
私がいいたいのは、お金持ちになるとか、ぜいたくするとか、そういうことではなくても、もっと良くしていこうという気持ちを持っていることが大事で、そのために精一杯努力していくことが、誰のためではなく自分の幸せになるだろうということです。考え方次第では、日本経済の規模が変わらなくても、もっとみんなが幸せになるやり方があるのではないかと思うのです。
そして「もう経済発展は無理でしょ」とあきらめて、現状維持で満足するのではなく、何とか発展していく道筋を見つけるのが、我々の使命ではないかと思うわけです。
話を戻しますが、被災地では、大変な思いをして、町を何とか復興させようと努力をしている方々がたくさんいます。
一体それがいつ実現できるのか、その道筋が明らかに見えているのかといえば、決してそうではないと思います。
それでも何とかしようと、世間一般の生活よりも厳しいであろう状況の中で、がんばっている人たちがいるのです。
普通に生活している私たちは、そこに満足するのではなく、もっと成長・発展を目指すべきではないかと思います。
強欲は良くないと思いますが、適度に欲を持つことは悪いことではないと思います。
現状が十分に幸せでも、もっともっと希望を持ち、夢を持ってもいいと思います。
それが生きる活力につながるのですから。

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