偏見、差別、マイノリティ
何だか、重苦しいタイトルですが。。。
私は、どうも高校生のころから、差別というものが嫌いだったようです。たとえば、アメリカの人種差別。誰でも知っているマーティン・ルーサー・キング・ジュニアとか、バスボイコット事件のきっかけをつくったローザ・パークスとか、そのような人たちの話を読んで、共感したというか、差別問題を自分なりに考えた記憶があります。
どうやら、今も、その傾向は続いています。
たとえば、職場での女性差別。女性の仕事が、お茶くみやコピー、男性の補助というようなこともおかしいですし、逆に、ポジティブ・アクションとやらに乗っかって、女性を優遇するのもおかしい。男性と女性は、まったく平等でいい。性別にはこだわらなくていいと思っています。
もちろん、男性と女性では、それぞれ特性が違って、それぞれにふさわしいやり方、役割はあるかもしれません。でも、それは、一人ひとりの個性でも同じことがいえますし、性別だけで一概に決めつけることはできません。○○だからという偏見をなくして、フラットに見て、フラットに考えるべきです。
私は、今、ある交流会に参加しています。
私は、業種の特性上、また、組織の状況から、極めてマイノリティだと思っています。最初は、あまりそう思っていませんでしたが、周りの人の発言を聞いていると、自分はマイノリティなんだなと痛感させられます。
恐らく、発言している人たちに悪気はないと思います。悪気があるのなら、もっと悪意に満ちたコメントになると思うからです。悪気がないからこそ、聞く人によっては、別に何も問題のないコメントになるのだと思います。でも、当事者からすると、気になることをいっています。
何のことだか分からないと思いますが、私がいいたいのは、誰でも、自分が意識していないところで、誰かを傷つけるようなことをしているかもしれないということです。大げさな表現になりますが、差別をしているとか、偏見を持った発言、行動をしている可能性があるということです。
強者、マジョリティ、権力者などなど。。。は、弱者、マイノリティの立場や気持ちが分からないと思うのです。アンテナの感度を上げて敏感に感じ取らないと、そういう人の立場は理解できないと思うのです。自分も、きっとどこかでそういうことをしているんだろうなと思うのです。
興味深いのは、人望のある人、周囲から尊敬されている人は、概してその様な発言はしません。その様な態度も見せません。極めてフラットで、偏見がありません。もちろん、だからこそ、人望があり、尊敬されているのかもしれませんが。。。
私自身も、フラットで偏見を持たずにいたいと思います。
年齢、性別、国籍、職種、肩書きなどで人を判断せず、その人自身を見て、見極めたいと思います。
難しいことではありますが、すごく重要な気がするのです。
自分が成長していく上でも。
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