体罰と暴力

学校の教育では、今は、体罰は禁止されているそうです。

しかしながら、まだ分別のない子供に対する教育、しつけでは、時には痛い目に合わせることで、理解させることも必要ではないかと思います。もちろん、加減というものがありますが、そのような痛みを知っているからこそ、人を傷つけなくなるということもあります。

また、子供同士ならば、時には、殴り合いのけんかもいいことなのかも知れません。小さい頃にそういう経験があれば、どの辺までなら許されることなのか体験的に理解できるからです。

では、社会人教育における体罰はいかがなものか。

たとえ、新入社員であっても、社会人になれば、大人として扱われます。未成年が就業することもありますが、職に就けばある意味では一人前です。一人前の大人に、体罰はどうなのか。。。

私は、時と場合によると思います。

どちらかといえば体罰は反対ですが、状況によっては、体罰で理解させることも必要かも知れないと思います。

ただし!

暴力は、絶対に許されることではありません!

体罰と暴力。

何が違うのか。

辞書によれば、以下のようになっています。

【体罰】
こらしめのために、身体的な苦痛を与えること。日本の学校教育では、法律によって禁止されている。

【暴力】
(1)乱暴な力。無法な力。
(2)物理的強制力を行使すること。特に、それにより身体などに苦痛を与えること。

(大辞林 第二版より)

大きな違いの一つは、こらしめのためかどうかということです。こらしめということは、体罰を受ける人間が、その前に何か罰せられるようなことをやらかしたということになります。その人が悪いことをしたので、身体的な苦痛=体罰を受ける。

これは、悪いことをすれば罰せられるということで、仕方がないことです。もちろん、罰の与え方は、何をしたかによって適切なものでなければなりません。でも、犯罪を犯せばその罪を償うように、会社のルールに反したりすれば、何らかの罰があってしかるべきです。

しかしながら、同じように身体的な苦痛を与える行為であっても、暴力はあり得ません。これは、単に権力者の無法な力です。どんな状況であろうとも、許されることではありません。

暴力とは、殴る、蹴るという身体的な行為だけではありません。言葉の暴力も同じです。○○ハラスメントといわれるようなものも同様です。

パワハラ。セクハラ。モラハラ(モラル・ハラスメント)。アルハラ。。。

どれも、加害者側には、加害者意識があまりないことが多いようです。でも、法律上どう判断されるかはさておき、判断の基準は、被害者側の感覚によるものだと考えなければなりません。

セクハラでは、女性(場合によっては男性)が不快だと感じれば、セクハラと認定されるのが基本です。

パワハラ、モラハラなども同様に考えるべきです。

しかしながら、いずれの場合も、被害者側は弱者です。声を出せない立場にいるのです。

誰でも、自分の立場が強い場合には、よく気をつけるべきです。自分では大したことをしているつもりはなくても、相手の立場からは、苦痛を受けている可能性があるからです。

また、体罰も、それが常態化すると、恐らく、そのうち暴力になっていきます。行為そのものはどちらも同じようなものだからです。最初は、きちんとした理由があって罰を与えていたものが、そのうち何の理由もないのに、相手に苦痛を与える行為をしてしまう可能性があります。

それは、総理大臣だろうが、有名人だろうが、教授だろうが、何だろうが許されることではありません。

そもそも、人として許されることではありません。

中でも、指導という名のもとで行われる暴力は要注意。

自分では気づかずにやっていますから。

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