謙虚さは傲慢の後にやってくる

昨日の記事と少し関連しているのですが、、、

無理に謙虚になることもないのかなと思ったりするのです。

人にもよるでしょうが、謙虚さが先に立つと、成長が止まることもあるように思うのです。

よく「謙虚に学ぶ」という言葉を使います。この言葉からすれば、謙虚な人はよく学ぶことになります。

でも、それはちょっと違うような気がします。

それは、ただ単に謙虚だから学ぶのではなくて、もっと高いレベルに到達したいと考えているから学ぶのです。

他人から見ると立派な人であっても、その人自身は、もっと高いレベルを見ているので、現状に満足せずに学び続ける。

これが、たぶん「謙虚に学ぶ」ということです。

でも、これを「もっと高いレベル」を見ない人がやったらどうなるか。

結局、現状を素直に受け入れて、自分から進んで謙虚に学ぼうとはしないのではないか。

人によっては、自分はそんなものだと思って、積極的に学ぼうとはしないのではないか。

そんな気がするのです。

人は誰でも、赤ちゃんの時があって、幼児期を経て、大人になります。多くの人は反抗期という過渡期を経て大人になっていきます。

人の成長には、必ず反抗期というか、生意気盛りというか、傲慢な時というのがあって、それを通り過ぎないと、大人にはなれない。

そう思うのです。

反抗期が終わる頃、

「ああ、自分は傲慢だった」
「謙虚さを忘れていた」

と、初めて気付く。

逆のいい方をすれば、そういう傲慢な時代がなければ、真の謙虚さは体得できないのではないかとも思います。

ですから、傲慢になっているときはもう少しで立派な人間になる前触れで、喜ぶべきことだといえるかもしれません(そんなわけないか。。。)

よく、大してできもしないのに、思い上がっていたり、傲慢になっている人を見かけます。それが自分の後輩や社員だったりすると、思い知らせてやろうと思うのが人の常。

でも、親切に思い知らせてやらなくても、そのうち勝手に思い知ることになるので、放っておくのも大切なことではないかと思ったりもします。

それから、傲慢になりかけている人にストップをかけるのも、やめた方がいいかもしれません。

思いっきり傲慢になるまで放っておいて、自分で思い知るときまで待つ。その方が、結果としては大きな学びを得ることになると思うからです。

偉そうなことをいってますが、私自身も人のことはいえません。傲慢になっては痛い目にあってシュンとして、、、忘れた頃にまた傲慢になって、、、というサイクルを繰り返しているように思います。

でも、それも仕方ないことではないかな、、、と。

昨日も書きましたが、悟ったような、立派な人間になるのは、100年早い!

少なくとも、私自身は、今すぐそんな立派な人にはなれません。。。[E:weep]

人から見ると結構いい年になってきたような気がしますが、まだまだこれから。[E:happy01]

自分では、これからが本当の成長期だという気がしているのです。

第2成長期とでもいいましょうか。

いつまでも子どもでご迷惑をおかけしますが、今後ともよろしくお願いいたします![E:happy01][E:shine]

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